東京高等裁判所 昭和57年(う)61号 判決
一 論旨は、要するに、原判決は、本件殺人未遂の罪となるべき事実として、「被告人は、同日午前五時二〇分ころ、同屋上において、右善子(当時四〇歳)を殺害してもかまわないという気持で、あえて同女の身体を、有形力を行使して同屋上の高さ約〇・八メートルの転落防護壁手摺り越しに約七・三メートル下方のコンクリート舗装の被告人方北側道路上に落下させて、路面に激突させた。その結果、被告人は、右善子に対し、急性硬膜外血腫、脳挫傷、右第八肋骨、右坐骨骨折等による全治不明の傷害を負わせたが、殺害するには至らなかつた。」と判示しているが、一般に「有形力の行使」とは「無形力の行使」に対応する語意であつて、「暴行」の概念と同様に極めて広汎な意味内容をもち、抽象的概念であつて、具体的な行為を表わすものではないから、被告人が有形力を行使したというだけでは被告人の行為は特定されず、何を意味するか不明であり、これをもつて殺人の実行行為の着手事実を摘示したということはできず、この点において、原判決は理由不備の違法があるというのであり、原判決がそのように判示していることは所論のとおりである。
ところで、有罪判決における「罪となるべき事実」の判示としては、刑罰法令各本条の構成要件に該当すべき具体的事実を該構成要件に該当するかどうかを判定するに足りる程度に具体的に明白にし、他の事実と区別できる程度に特定すれば足りるというべきである。
本件についてこれをみると、原判決は、被告人の本件犯行の犯意(未必の殺意)、日時、場所、方法(同女の身体を……手摺り越しに……下方の……道路上に落下させ)等をいずれも具体的に示しており、これにより判示事実が殺人未遂の構成要件に該当することが認識でき、かつ他の事実と区別できる程度に特定されていることが明らかである。
ただ、同女の身体を落下させた方法の詳細については、所論指摘のとおり、単に「有形力を行使し」とあるだけで、被告人がどのような動作をして同女の身体を落下させたのかについては具体的な判示がない。
もとより、殺人のような重大犯罪については、その手段方法についても、できるだけ詳細に判示することが望ましいが、被告人の否認等により、証拠上ある限度しか判明しない場合は、前記の条件を充たす以上、判明した限度において判示するのもやむを得ないものと解する。
これを本件についてみると、控訴趣意第二点について詳細説示するとおり、本件被害者の原判示落下が被告人の行為によるものであることは証拠上明らかに認められるのであるが、被告人が終始否認しているうえ、彼害者は幸いに一命を取り留めたものの、現在に至るまで被害当時の記憶を完全に喪失しており、他に目撃者もいない本件においては、原判示の程度以上に詳細な判示をすることは不可能と認められるから、所論指摘の点も含め原判示はやむを得ないものというべく、論旨は理由がない。
二 論旨は、要するに、被告人は本件犯行当時パラノイア(妄想症)に罹患しており、心身喪失の状態にあつたのに、心身喪失を認めず、単に心神耗弱の状態にあつたと認定した原判決は、鑑定の評価を誤つて被告人の責任能力に関する事実を誤認したものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
そこで、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果をも加えて検討すると、関係証拠によれば、以下の事実が認められる。
1 被告人は、工業高校を卒業後、市光工業株式会社に入社し、本件当時は同社蓮田工場の包装係主任をしていたものであるが、その間、勤務しながら日本大学文理学部二部国文科に進学して四年で中退し、下谷病院に入院した際、同病院の看護婦善子と知り合い、昭和四〇年結婚し、英世、孝雄、健の三子をもうけ、昭和五二年初めころまではおおむね平穏な家庭生活を送つてきた。
2 ところが、昭和五二年一月ころ善子が早期胃癌検診協会(早胃検と略記する。)に看護婦として勤務した後、被告人はアレルギー体質の同女の身体に生じた掻痕をいわゆるキスマークであると邪推して、同女が早胃検に勤務している男性と親しくなり、浮気をしているのではないかと疑うようになり、同五五年一、二月ころ、同女の下腹部にできた掻痕を浮気をした証拠のキスマークであると断言してゆずらず、別棟に居住している実母鈴木たけ、実弟鈴木文雄、さらにいわき市から呼び寄せた善子の実母長谷川ミチヨらにキスマークであるか否か善子の下腹部を見分させたほか、時には邪推から同女に暴力も振うようになつた。
それゆえ、被告人は妻善子にすすめられ、そのころ、東邦大学大橋病院神経科を受診したが、特に異状があるとは告げられず薬も投与されなかつた。
3 しかし、その後も被告人の疑念は強まるばかりで、そのことが原因でしばしば夫婦げんかとなり、同年六月ころには、善子が子供を連れて実妹松本和子方に一時身を寄せ、またいわき市から長谷川ミチヨが説得仲裁のためわざわざ上京してきたこともあつた。
そして、同年九月二六日午後五時三〇分ごろ、被告人は同女に対しいつものようにキスマークがついていると言つて責め、これを無視していた同女の頭部を一、二回殴打し、両手でその頸部を絞めるなどの暴行を加えたため、同女から一一〇番に架電され警察官の出動を受け、説得されてその場をおさめたが、同女の胸部等に存する傷痕がキスマークであると診断してもらおうと考え、同日午後七時三〇分ころ、石川皮膚科に同女を連行し受診させたところ、同女の胸部、左背部及び左側腹部に存するごく軽度の粗と掻痕はいずれも湿疹様のものでキスマークではないと診断されたので、被告人は、いつたんは今まで自分が間違つていたのかなと思つた。
4 しかし、被告人の疑念は解消せず、依然として善子の浮気を疑つてやまないので、遂に同女が離婚を口にするようになり、同女のはからいにより、同年一〇月初めころ、被告人は同女と共に東京家庭裁判所の家事相談に行つたところ、係員から三人の子供のためにも円満な夫婦関係を回復するよう説諭され、同女は離婚を考え直し、同女も被告人も得心して帰宅した。
ところが同年一一月一一日夜、前記二、のとおり、鈴木たけから叱責された後、同月一四日、本件犯行に及んだ。
以上の事実に、原判決挙示の保崎秀夫、逸見武光作成の各鑑定書、検事佐藤幸雄、弁護人梶川俊吉作成の各電話聴取書を総合すると、被告人は、結婚して家庭の主婦となつた善子が再び看護婦として稼働することになつてから、根拠にならないものを根拠にして、同女の浮気、異性関係を疑うようになり、その嫉妬の程度は昭和五五年に入つてからは嫉妬妄想といつてよいものとなり、病的状態で、本件犯行当時精神医学的には、被告人は広義のパラノイア(嫉妬妄想を主徴としたパラノイア)の状態にあつたものと認められる。
しかし、被告人の場合、実母から引越して行くようにいわれても、善子を責めるわけでなく、一緒に移転先を考え、また同女に言われると、精神科の受診や家庭裁判所の相談にも出かけ、皮膚科の医師が診断した結果、キスマークと信じてやまなかつた同女の傷が単なる湿疹様のものでキスマークではないと判明すると、いつたんは自分が間違つており、嫉妬していたにすぎなかつたのかと考えたりしており、妄想が頑固に固定化されてゆるぎがたいというほどのものではない。また、善子が結婚前に勤務中の医師の息子と肉体関係があつたこと、同女がアレルギー性の発疹の出易い体質であつたこと、同女がいわゆるへそくりをしていたこと、いつたんは離婚の話も出ていたことなどを勘案すると、被告人が嫉妬妄想を抱く根拠も全く理解できないというわけではなく、パラノイアの典型例にみられるような、特段の根拠がないのに強固な嫉妬妄想を持続したというものとは、多少の隔たりがあるとみてよいものと考えられる。したがつて、それだけ妄想の支配が弱く、理性による行為抑制の能力が残されていたものといえよう。
以上の点に加え、本件犯行直後の被告人の言動をも併せ考慮すると、被告人は本件犯行当時パラノイアの状態にあつたとはいえ、いまだ事理を弁識し、これに従つて行為する能力が完全に欠けるほど強固なものではなかつたと認めるのが相当である。